【2019/6/18 太宰サミット@青森レポート】金木町「斜陽館」で太宰治生誕110年シンポジウムを開催!
『人間失格』『走れメロス』『斜陽』などで知られる青森県出身の文豪、太宰治。生誕110年を迎えた今年6月、彼が生まれ育った五所川原市金木町(現)の旧津島家で「第5回 太宰サミット ~太宰を想う、太宰を語る、太宰を伝える~」が開催されました。
旧津島家は現在、国指定重要文化財の太宰治記念館「斜陽館」として、全国からファンが訪れるスポットに。シンポジウムが行なわれたのは1階にある米蔵。太宰にゆかりのある地の方々が一堂に会し、彼の文学や人間性をいかに次代へ伝えていくかが話し合われました。
【太宰サミットの経緯】 岩下武彦氏(中央大学名誉教授 すぎなみ文化協会)
20代の太宰が暮らした下宿「碧雲荘」(東京都杉並区)の保存運動を牽引した岩下氏。最終的に建物は解体されることとなりましたが、使用されていた部材を用いて移築復元した施設が、2017年に大分県由布市で「ゆふいん文学の森」としてオープンしました。
「『碧雲荘』保存の知恵を全国から集めるために『太宰サミット』第1回目を開いたのが2015年。そこでの絆が今日につながっています。私が未熟だったために、あのときこうすればよかったと思うことも多いですが、建物が残ったことはささやかな成果。文学の交流の場として使ってもらえたら」(岩下氏)
【基調講演】 木下巽氏(前 五所川原市教育長)
「津島家(斜陽館)・太宰文学の魅力」をテーマに基調講演を行なったのは、金木太宰会会長でもある木下氏。太宰の作家人生や作品の魅力について、貴重な裏話を交えながら語りました。
「私の教育人生の最後は学校の校長でしたが、『走れメロス』の教科書掲載はいち早く推薦しました。太宰は素行ばかりが着目されがちですが、作家は『何をしたか』は問題ではない。『何をどう表現して、我々に生きる力を与えたか』が重要なんです」(木下氏)
【朗読『雀こ』】 お話サークル「すずめっこ」
金木町で活動するお話サークル「すずめっこ」は、津軽弁で綴られた太宰治の作品『雀こ』の朗読を披露。心地よい語感とリズムで聴衆を魅了しました。
【パネルディスカッション】
太宰ゆかりの地は全国に点在します。その各地域で太宰に関する活動をしている6名をパネラーに迎え、パネルディスカッションが行なわれました。
幼少の太宰を育てた叔母キヱのひ孫である津島氏。生誕100年のときに実行委員長として「太宰治検定」を立ち上げるなど、従来の太宰ファンの深耕や新たなファンの獲得に寄与しています。
冒頭に挨拶したすぎなみ文化協会の岩下氏は、太宰の作品からゆかりの場所を調べて周辺住民に話を聞く活動を進めているそう。「ゆくゆくは荻窪太宰マップを作りたい」とビジョンを明かしました。
「船橋は太宰発祥の地」と冗談めかして話すのは、船橋市にある旅館「玉川」の海老原氏。「太宰は20代の頃に船橋に住み、そこで出版社からの初出版を果たしています。人間失格のあとがきにも船橋のことが書かれているし、実はゆかりが深いんです」
柳沢氏が以前館長を務めていた「小説『津軽』の像記念館」は、太宰と子守のタケが30年ぶりに再会を果たした丘にある施設。柳沢氏は晩年のタケさんの貴重な音声と映像を記録しており、「太宰を知る人やゆかりの場所を記録することは大事」と述べました。
脳出血で生死をさまよった経験をもつ石田氏は、後遺症のリハビリのために受けた演劇『津軽』のオーディションに合格。その縁で外ヶ浜太宰会を立ち上げたそうです。「立ち上げを機に太宰を読み始めたら止まらなくなった。地元の人は太宰に明るいイメージをもっていますが、それがよくわかりました」
斜陽館からほど近い場所にある、終戦前後に30代の太宰が暮らした家「新座敷」。その主人である白川氏は、「斜陽館と一緒にぜひ訪れてほしい。太宰が母を見舞うシーンなど、この家で起きた出来事を感情込めてお伝えしています」と話しました。
各々の活動や今後の連携について話し合われたあと、コーディネーターを務める「斜陽館」館長の伊藤氏は次のように締めくくりました。
「地域づくりは歴史や文化を知らなければできません。みなさんの研究の成果は『六月十九日』という冊子にまとめていますが、これを自分たちの世代で終わらせず、次につなげていくことが私たちの使命です。太宰の作品は読み手によって解釈や感じ方が違う。つまり、太宰を読む人が増えるたびに新しい太宰が生まれるということ。それが、太宰を次の世代へ伝えていくことにつながるのではないかと思っています」
読む人にさまざまな感情を湧き起こさせ、生きる力や勇気をも与える太宰文学。全国のゆかりの地でこれからどんな取り組みが行なわれるのか、いち太宰ファンとしてとても楽しみです。
太宰治記念館「斜陽館」