【タイムトラベルあおもり】012.青森ねぶた古写真と古書店
古書店による「第一級青森ねぶた資料」の発掘
最近、青森市内の古本屋さんに郷土史関係の資料が多量に出回っているらしく、私も貴重本を数冊入手しました。その「出処」を探している中、青森ねぶた関係の資料を「古書らせん堂」さんから青森まちかど歴史の庵「奏海」の会へ寄贈していただきました。きちんとした印刷物に纏められた資料ではなく、ねぶた審査時の採点表やねぶた運行の古写真など、古書としては値付けが難しく、紙ゴミとして廃棄される寸前だったようです。青森ねぶたの歴史に精通している民俗研究家等にその一部をお見せしたら、「青森ねぶた史」を研究する上では欠くことのできない、第一級の資料との評価を受けました。「資料は情報発信している所に集まってくる」という言葉がありますが、そのとおりになりつつあります。
昭和19年のねぶた古写真
今回はその中から、これまで世上に出回ることのなかった、昭和19(1944)年のねぶた運行写真4枚を紹介します。昭和20年7月28日の青森空襲によって、青森市中心街の殆どは灰燼に帰しました。従って、写真に写っている建物の殆どは焼失したので、空襲前の街並みを写し取った写真としても大変貴重なものとなっています。
さて、ねぶたは今でこそ毎年運行されていますが、戦前は昭和12(1937)年に日華事変が起こり、戦火が中国大陸全土に及ぶに至って運行は中止となり、急激に街は戦時色を強めていきます。そして、昭和16(1941)年には太平洋戦争が始まり、祭りが復活する事はありませんでした。しかし、戦局が悪化した昭和19年に、「銃後の士気を高揚し決戦生活の明朗化を図るため」と称し、その年に限りねぶたの運行を許したのです。市内から11台、郡部から7台の合計18台のねぶたが、戦時色下の街にくり出しました。
まず写真3は東奥日報社のねぶたですが、題材に時代が反映されるのはいつの世も同じで、「敵国アメリカ」の大統領であるルーズベルトに桃太郎が乗っかり、征伐する場面を表現しています。戦意高揚を図るという当局の意図を最大限汲み取ったねぶたを市民に見せています。ここにも、戦時中のマスメディアと国家の親密な関係が見て取れます。
写真4は、「桃太郎の鬼退治」が題材と思われるねぶたですが、運行団体は不明です。しかし、ねぶたの背後に目を凝らすと、「歌舞伎座」という看板がはっきり見て取れます。歌舞伎座は青森市青柳にあり、歌舞伎や映画などの興行を行っていました。また、この街が生んだ鬼才寺山修司の母親の実家でもありました。撮影当時、寺山母子はここには住んでいませんでしたが、戦前の歌舞伎座の外観が写っている写真資料は、寺山研究上とても貴重な資料となりました。
写真5は、ねぶた前面に「一等賞」の文字が見えています。運行団体は、県造船浪打工場で、ねぶた制作者は北川金三郎 (初代ねぶた名人)、題材は定番の「御所五郎丸と曽我五郎」です。運行関係者の中には、ゲートルを足に巻いた人や、国民服を身にまとった人がいたりと、戦時下であることが写真から読み取れます。撮影場所は不明です。
写真6は熊地組のねぶたで、千葉作太郎(第五代ねぶた名人千葉作龍氏の父親)制作の「巴御前」です。背後に写っている建物は、青森市昭和通りにあった新興劇場(=現在の中三デパートの所)のようです。また、看板に書かれている「日常の戦ひ」(島津保次郎監督 主演 佐分利信・轟夕起子)という映画タイトルからも、昭和19年に撮影された写真であることがわかります。更に、映画の内容は銃後の民間人も隣組制度によって一致団結して戦争協力しようというものであり、ここにも時代を感じ取ることが出来ます。
古書店の文化的役割
以上、古書店主の「眼力」によって廃棄寸前の崖っぷちから救われた青森ねぶた資料の一部を紹介しました。もしこの街に古書店がなかったら、これらの資料は間違いなく紙くずとして燃やされていただろうと思うとぞっとします。これらの資料を寄贈してくれた「古書らせん堂」さんは、青森市古川に2年前に開店したばかりです。同じ通りには、すでに古書店「林語堂」さんが営業していて、意識して近い所に開店したそうです。東京早稲田のような古書街となって欲しいところですが、残念ながらこの街で古書店を営んでいくのは、とても厳しいようです。
地元から発掘してきた郷土資料を地元に残しておきたいという強い信念のもと営業している古書店は、この他に「古書思い出の歴史」さんと老舗の誠信堂書店さんがあり、合計4店が必死にこの街の古書界を守ってくれています。3年前に青森市本町の「青森まちかど歴史の庵」に隣接して開店した「古書思い出の歴史」さんは、郷土資料を中心に営業しています。まずは「青森まちかど歴史の庵」で歴史的展示を見て、先人らの足跡を振り返り、その足で隣の古書店で関連する郷土資料を買い求めができます。実は、かの大英博物館と同じような文化的環境(博物館と図書館が近接して立地している)にあるのですが、そのことに気づいている青森市民はごく僅かです。またすぐ近くには青森県立郷土館や青森市民美術展示館もあり、青森市内では文化的環境が最高に整っている地域です。文化的環境を整えても、そこに住んでいる市民が利用しないと、「宝の持ち腐れ」あるいは「豚に真珠」です。学校教育あるいは生涯教育の中で、文化施設を利用し自らを高めていく方法を教え込まない限り、この街の民度は向上していかないでしょう。
最後に、厳しい経営状況にありながらも、矜持を持ってこの街の文化環境を下支えしてくれている古書店経営者の方々にエールを送るとともに、足元で人知れず進行している郷土資料消滅に行政関係者が気づき、食い止めてくれることを期待して、拙文を閉じることにします。
◆戦前の青森ねぶた古写真については、【タイムトラベルあおもり】006.戦前の青森ねぶたの写真を首都圏で発見! も併せてお読みください。
また、「縄文の学び舎・小牧野館」では7月15日(土)~8月20日(日)に「企画展 心踊るあおもり展」を開催します。青森市に所在するねぶたの大正・昭和からの衣装や小道具や、昭和を代表するねぶた師の作品など、なつかしのねぶた資料が盛りだくさんです。是非、ご観覧ください。◆
(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会:青森太郎)