【タイムトラベルあおもり】007.戦前の希少建築物が消え行く青森市
日本銀行青森支店が開設されたのは昭和21(1946)年11月1日。場所は青森市大町(現在の本町)でした。最初、米町にあった日本勧業銀行青森支店内に、昭和20年5月に青森駐在員事務所を開設し、戦後の混乱のなか青森県内の官民挙げての要望により、戦後の第1号店として支店昇格が決まりました。
しかし、勧業銀行では手狭であり、青森空襲(昭和20年7月28日)で焼け残った大町の板柳銀行を買収し、増改築を行い60名体制でスタートしました。
その後、業務拡大により、昭和28(1953)年11月24日に現在の青森市役所西側に新築移転されました。建物は外壁の補修などが丹念に施されたことにより、建築後60年以上経過しているにもかかわらず、同地にそのまま健在です。一方、青森空襲で焼け残った日本勧業銀行青森支店や板柳銀行の建物は取り壊され、今は写真でしか見ることが出来ません。空襲の「生き証人」が、次々と取り壊されるのは忍びないことです。
昭和20(1945)年7月28日の青森空襲で市街地の殆どが灰燼に帰した青森市は、「歴史の残っていない街」と言われることがあります。しかし奇跡的に残った歴史的建築物等を保存し、後世に伝えようとする動きはほとんど見られません。そもそも、何が戦前からの歴史的遺産で、どれくらい価値があるのか周知されていないのは大変残念なことです。
青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」では、「青森市街図展」を平成29年3月25日(日)まで開催しています。江戸・明治・大正・昭和の貴重な青森市内の地図を大伸ばしにして、展示中です。地図を通して、海に面したこの街の変遷をご覧いただき、後世に残すべき歴史的建築物にどのようなものがあるのか、自らの目で確かめていただきたいと願っています。
◆この記事は、青森まちかど歴史の庵「奏海」庵主の今村修さんにご協力いただき作成しました◆
(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会:青森太郎)