【あおもりびと発見!】「原始の地球」が残る南極の湖で「進化」を探る
植物生理生態学・陸水学者、国立極地研究所 助教:
田邊優貴子さん(青森市出身、東京在住)
極地の自然、生き物たちの濃縮した命のドラマに感動
最果ての地にある未知の世界を、ひたすら探求する
夏は北極、冬は南極と、地球儀のてっぺんから真下へと移動し、極地や高山にある湖や植物、それを取り巻く環境を研究する植物生理生態学者の田邊優貴子さんは、人呼んで「極ガール」。春と秋は東京の研究所に勤務しながら、シーズンになると野外調査に出かけており、2007年11月から2008年3月までの第49次日本南極地域観測隊として派遣されて以来、南極で6回、北極で6回の調査を行ってきた。

南極大陸には多くの湖が点在している(写真提供:田邊さん)
最初のお年玉で天体望遠鏡を買って星や空を眺め、雲も植物も大好きな少女だった。小学校3年生の時、テレビ番組でアラスカの広い大地、氷河の海、美しいオーロラ、ヒグマやカリブーを見て、「ああ、こんな世界があるんだ!!」と感動。それからは、近所の草むらで遊んでいてフッと風が吹くだけで「この風はどこからやってきたんだろう?」と胸がワクワクした。
高校時代にはキャンプや野宿をしながら北海道のサロマ湖や利尻島を訪れ、京都大学に入ってからはアルバイトでお金を貯め、バックパックを背負ってペルー、ボリビアへ。アラスカではたった4日のうちに緑の葉が黄色に、そして真っ赤に変わる。生き物たちの濃縮した生命のドラマに胸がザワザワし、ずっと心が震えていた。あらゆるものに意味や理由を求めていた理系女子にとって、「理由なんてない」という感覚はとてつもない衝撃で、その時の心の震えは「いま自分が生きていること」そのものだった。
- 越冬隊としての11月末の日本出発を前に、8月から荷造りは始まっていた
- 黄色いグローブは「防寒用—60℃」対応
- 南極観測隊用の段ボールは通常の物より厚く、強度がある
その感覚に素直に生きようと、2006年に27歳で東京の国立極地研究所へ。折しも、南極湖沼の研究が始まっていて、湖をテーマにした田邊さんは2007年の第49次日本南極地域観測隊に加わり、初めて夏の南極に渡った。
- 国立極地研究所の研究室はペンギンと白熊のカードが目印
- ヘルメットと日の丸は、2014年に5ヶ国の国際共同南極調査隊の時のもの
- 大量の実験機材や道具などを南極観測船「しらせ」に積み込む
これまで二度、知られざる生物環境の「世界初の目撃者」となっている。昭和基地の南に広がる露岩域(氷に覆われていない場所)にある水深約10メートルの淡水湖「長池」で2009年1月、最大で高さ80センチほど、緑色のタケノコのような藻の三角錐が湖底一面に続いている様を確認した。多様な種の藻とコケが共存してでき上がった針葉樹林のジオラマのような光景は、岩石砂漠のような陸上からは想像もつかない世界だった。

長池の湖底は、石や岩が苔むしているのではなく、すべてがコケと藻とバクテリアでできあがっていた(写真提供:田邊さん)
もう一つは、2014年、5カ国6人の研究者で赴いた南極大陸内陸部にあるアンターセー湖での調査。厚さ4メートルの氷は一人がやっと入れる穴を開けるのが精いっぱい。最初の調査にたった一人で潜ると、深さ10メートルほどの湖底に紫色のドーム状のものがポコポコと辺り一面に広がっていた。「わー、なんだコレー?!」。高さ、直径とも20〜30センチのドーム状のものは、27億年前、地球の歴史の中で初めて光合成をした生き物 「シアノバクテリア」で形作られたものだった。このシアノバクテリアが光合成で酸素を作り出したことから、二酸化炭素やメタンばかりだった地球で生き物の進化が始まった。その「原始の世界」が、南極にはまだ残っているのだ。
- アンターセー湖の湖底に広がる生態系。ライトを当てると紫が買ったピンク色で、シアノバクテリアと分解者だけでできあがっている(写真提供:田邊さん)
昭和基地の近くだけでも湖は100個ほどある。およそ2万年前に地球最後の氷河期が終わり、大陸を覆っていた氷が後退する時に地面を削り、窪地に水が溜まってできた湖は原始の様子を残し、まさに「生まれたての地球」。同じ時期にできた湖でも、わずかな大きさや深さ、岩盤の成分の違いなどで湖内の温度や水質が変わり、生態系に違いが生まれる。
水温0℃の水中に潜水し、写真で記録し、湖底の生物を採集していると、ドライスーツに身を包んではいても、50分もするとグローブの中の手がかじかんでしまう。地上に戻り、フードを脱ぐとマイナス20℃近い外気に触れた髪はバリバリに凍り、ドライスーツは“氷の衣”と化す。「大変なことは多々あるけど、それよりも面白さを突き詰める気持ちのほうが大きい。湖をのぞくと生命の起源や進化、生態系が複雑化する過程をタイムスリップして見ることができます。そのための努力は、努力というほどではない。毎日楽しいですよ」
追いかける自然現象は短期間では分からないものばかりなので、データや採集試料を分析・解析し、一つの研究成果にたどり着くまでには早くても5年ほどかかる。「できるだけ効率的に全力で研究しても、5つの課題を同時並行するのが精いっぱい。死ぬまでかかっても分からないことがいっぱいある」。時間との闘いとも言える研究を継続的に進め、未知の領域を少しでも解明するために、自身に続く「極ガール、極ボーイ」の登場を心待ちにしている。
- 大陸で出会うペンギンは心和ませてくれる存在。「一番好きなのはアデリーペンギン」
- 青森市出身のプロスキーヤー、三浦敬三さん(故人)はサインに添えて「探求一筋」と書いてくれた
子どもの頃から抱き続けてきた遠くへ、そして極地へ行ってみたいという思いは完全に衝動のようなもの。そして、遺伝性の難病を抱えていた亡き祖母の存在も、対極的に「好きなことをして生きる」という生き方の力になっている。
第58次南極観測隊に選ばれ、この11月末、初めて越冬隊として臨む。「これまで見たことがない秋と冬と春、湖の生き物がどうしているのか。1年4ヶ月という長期間にちょっぴり不安はあるけど、研究はとても楽しみ」。7回目の南極で、初めてのニオイ、音、温度、湿気、色、風の流れ、季節の移り変わりに大いに心震わせるに違いない。
<プロフィール>
青森高校、総合研究大学院大学などを卒業。2014年文部科学大臣表彰 若手科学者賞受賞(業績名は「南極湖沼生態系の環境応答と遷移過程に関する研究」)。
著書に「すてきな 地球の果て」(2013年、ポプラ社)、「北極と南極〜生まれたての地球に息づく生命たち〜」(2015年、文一総合出版)。雑誌連載など多数。