「カワイイ」だけじゃない こぎん刺しの深い歴史を伝えたい

首都圏等で活動する「あおもり~な」(青森思いの県人等)を紹介します
2018.3.29更新

「カワイイ」だけじゃない こぎん刺しの深い歴史を伝えたい

あおもり〜な 017 山端家昌 (やまはた・いえまさ)さん
  • 30代
  • おいらせ町
  • 東京都
  • グラフィックデザイナー、こぎん教室主宰

津軽に伝わる伝統の手仕事、津軽こぎん刺しを自ら刺し、教え、デザインし、そして今、研究する人へと、持つ顔が広がっている山端家昌さん。今、こぎんの歴史を掘り下げようと文献や資料を読みあさり、それらを伝えようと動いている。

江戸時代からの歴史を一覧する「こぎん文献絵巻」を作成

3月27日、岩木山が間近に見える弘前市西部にある佐藤陽子こぎん展示館の1階。20人のこぎんファンが集まり、長いテーブルに広げた5.7メートルの「こぎん文献絵巻」を食い入るようにのぞき込んでいた。山端さんが江戸時代後期以降の衣服に関する時事、文献、書籍など153件を時系列で一覧にした絵巻は、昭和30年代以降のボリュームが目に付く。

「こぎん刺しの図案集は多いけれど、歴史に触れている文献は少なく、書かれていてもサラッとしたもの。『綿を着ることを禁じられた農民が、麻の布を木綿糸で刺して保温・補強した』とか。でも、このサラッと流されてしまう部分が、実はものすごく濃い。こぎん刺しの地元の皆さんには、その点をもっと知って欲しいんです」。弘前市の津軽工房社が主催した「古作こぎん研究会in弘前」の講師に招かれた山端さんは、絵巻冒頭の江戸時代から明治時代の説明に多くの時間を割いた。

 

古作こぎんを見て、「何だ、このカッコいい模様は!」

おいらせ町出身の山端さんがこぎん刺しに出会ったのは、服飾デザインを学んでいた弘前実業高校2年生の冬。弘前市で開かれた民俗学者・田中忠三郎さん(1933ー2013年)のコレクション展で古作こぎん着物に出会い、衝撃を受けた。「織物か縫い物かも分からず、いきなり柄だけが目に飛び込んできた。『何だ、このカッコいい模様は!』と、緻密な針運び、大胆にして繊細な模様に引き込まれた」と振り返る。

日本デザイナー学院(東京)でグラフィックデザインを学びながらこぎん刺しの取材や研究に取り組み、現代に生きるこぎん模様を「kogin」と名付けた。卒業製作を皮切りに作家活動を始め、世界に津軽こぎんの情報を届けようとWebサイト「kogin.net」を開設。アクリル板や紙、シリコンのネットなどを布代わりの素材としたこぎんのモドコ(基本模様)を自在にデザインした作品や活動はメディアにも度々取り上げられ、三越伊勢丹のこぎん企画(2014年)ではヨウジヤマモトとコラボ作品も作った。

今の人気を「ブーム」に終わらせたくない

首都圏にいて、こぎん刺しの人気がどんどん高まっていることを肌で感じている。「カワイイ!」とこぎんファンが増えるのは嬉しいけれど、文化としての深い部分も知って欲しいと思う。さらにここ数年、年配の方などから「あなたに持っていてほしい」とこぎん関連の本を託されることが増えた。収集し、手元に集まった50冊以上の書籍を前に、「一過性のブームでは終わらせたくない」と思い、「今こそ、次の世代に種まきする時期」と考えたことが、「こぎん文献絵巻」につながった。

今年3月4日、浅草で「古作こぎん研究会」が開かれたことを知った地元のこぎんファンの声をきっかけに実現した弘前での古作研究会。自宅をこぎん展示館として開放している佐藤陽子さんは、研究タイムには長い時間をかけて収集し、故人に託された古作こぎんを何枚もテーブルに広げ、「触ってみて。裏もよく見てね」と参加者に声を掛けた。山端さんは、布の硬さや目の粗さ、刺した目の細かさ、モドコの配置や組み合わせ、身頃の裏や脇での糸始末など、手に取ることで分かるさまざまな要素から、「その1枚」が持つ時代背景や作った人の背景などを読み解いてみせた。

心豊かだからこそ生まれた美しい柄

「名もない女性たちが150年、200年前から作り上げてきたこぎん刺しには、民芸運動の柳宗悦が称賛したように、普遍的な美しさがあります。こんな綺麗な柄は、心豊かでなければ生まれない。辛く、悲しい歴史もあるけれど、自分が綺麗だと思う気持ちを大切に、楽しみながら刺していた女の人たちが残してくれたこのこぎん刺しの“源流”をもっと調べ、残していきたい」。そう話す山端さんは、「津軽を巡ってこぎん刺しを満喫するツアー」の実現に向けて着々と準備を進めている。

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