りんごに特化した通販で津軽の農家を応援

首都圏等で活動する「あおもり~な」(青森思いの県人等)を紹介します
2015.11.6更新

りんごに特化した通販で津軽の農家を応援

あおもり〜な 011 須藤公貴 (すとうこうき)さん
  • 30代
  • 黒石市
  • 東京都
  • 株式会社BlackStone 代表取締役

ひたすらスキーに明け暮れた青春時代

経営する会社の名前は、出身地の「黒石」をもじって「ブラック・ストーン」。津軽のりんごを販売するウェブサイトの名前は「りんご侍」。「わかりやすいでしょ」と快活に笑う須藤公貴さんは、目標を決めて、エネルギッシュに動き、確実にステップアップする道筋をたどってきた。

幼い頃からの記憶は、スキーに彩られている。小学1年から始め、4年生でレースに出ると、その楽しさ、魅力に引きつけられ、ハマった。5年生で県大会で3度優勝するまでに力をつけ、中学でも全国中学校総合大会に出場。スキーの強豪校である東奥義塾高校に入ると大鰐の寮で暮らし、年に1週間しか自宅に戻れない過酷な練習に明け暮れた。

しかし、先輩達が築いてきた15年連続のインターハイ優勝を自分たちの代で引き継げず、その悔しさから、大学でもスキーを極めるべく北海道東海大学へ。スキー漬けの日々を送り、インカレでは個人で15〜30位の成績を残した。山ごもりが過ぎて進級が危うくなったが、気持ちを入れ替えて単位を取り、就活でも馬力を見せ、5社から内定をもらった。

就職先に選んだのは、憧れの東京に本社がある放送会社。永田町の会社では半年も経つと、新卒同期60人の中でIP電話立ち上げメンバーに選ばれ、営業成績1位の数字をはじき出したが、1年で転職。インターネットの広告代理店の営業職に就き、またしても半年後にはトップセールスを記録するが、ここも1年半でキリを付けて、今度は会社を立ち上げた。理由は簡単だ。「挑戦したいことはいっぱいある。サラリーマンやってる場合じゃない!」

「シャチョウになる!」 その思いを実現

実は、6歳の頃から「大きくなったらシャチョウになる」と心に決め、公言していた。「カッコいいと思ったから」という軽い言葉とは裏腹に、思いを達成するため、会社に勤めながらビジネススクールでマーケティングや経営、経理のアカウンティングを学ぶ一方、仕事を早く切り上げてはビジネス交流会や勉強会に足を運んでネットワークを広げた。

25歳で会社を起こす際、反対する両親に募る思いをぶつけた。「ひとつの仕事を定年まで続けるより、時代に合った仕事をすることが自分にとっては大切。誰かがリスクを負わなければ安定志向の須藤家は変わらない。自分は、この家の歴史に名を刻みたい!」。自身と同じ公務員を勧める父、保育士の母は、息子の本気と覚悟があふれる言葉を聞き、後押しすることを決めた。

資本金の半分を両親から借りて2006年10月、25歳で会社を設立。在庫を持たず、利益率は高く、すぐにお金になるという「成功する起業の3原則」を守り、経験も知識も人脈もゼロベースだったIT業界に飛び込んだ。しかし、それまでの人脈を通じてオンリーワン商材を持っていたことで、一時は25人を雇用するまで会社が拡大した。実は、500万円の赤字が数ヶ月続く苦渋の日々もあった。「でも、飯が食えた。やっぱ、つえーな、オレって、その時に思った(笑)」

決断すると動きが早い性格は、プライベートもそのままだ。27歳の時、ダーツの会でバレエ教室経営の女性と知り合い、3ヶ月で赤いバラ100本の花束を贈ってプロポーズした。「一度やってみたかった。自分はミーハーでカッコつけだし、話のネタにもなるから」と、いたずらっぽく笑う。

りんごの通販サイトで、農家と青森を支援

社会人となって10年が経った2014年、「青森に貢献する」というもうひとつの夢の実現に踏み出した。大学進学と同時に離れていながら、「青森が大好き」という気持ちが常にある。経営と社外役員をしていた3つの会社を手放し、青森県の基幹産業である農家の所得アップに貢献しようと、専門分野であるインターネット集客技術を活用して、りんご専門の通販サイト「りんご侍」を立ち上げた。本社は黒石に置いて農業に詳しい社員1人を常駐させ、自身が暮らす東京に支社を置いた。「税金は、青森に落としたい」からだ。

数ある農業分野の中でりんごに着目したのは、「県を代表する農産物」ということの他に、昔ながらのスキー仲間の多くが農家を継いでいる事情がある。サイト立ち上げにあたり、仲間に声を掛け、そのつながりでヤル気あふれる農家にも加わってもらった。

登録農家には畑やりんごの情報を発信する個別のページを作成し、名刺などの営業ツールを提供する。農家は自由にリンゴの値段を決めることができ、消費者は農家の文章と写真を見て「買いたいリンゴ、農家」を選ぶ。県内のりんご品評会1位の農家のりんご5品種をブレンドした1本(720ml)2500円という高級りんごジュースを1000本限定販売したり、6品種、約8個を1箱に詰めた100箱限定「りんご食べ比べセット」販売など、工夫を凝らし、りんごの味わいを楽しめるセットを提供している。

購入者からの評価も購入しないと書き込めないレビュー機能をつけたり、「☆」の数で通販経験値をりんご侍が評価する方法。農家自身の努力や戦略、「消費者に届けたい」という思いが、リアルに成果に反映するシステムには、新しいことへの挑戦を恐れない須藤さんらしさも現れている。情報発信の経験が少ない農家にとってハードルは低くないが、挑戦し、試行錯誤することで自分のりんごに自信を持ち、作り手として消費者に届けるまで責任を持とうとする登録農家は、当初の20軒から27軒に増えた。

初めて「食」の世界に挑戦したこの1年の間に種々のデータを収集、分析してきた。消費者の「珍しい品種」に関心を持つ傾向に応えるため、14品種から今年は流通量の少ない種類も加えて26品種とし、さらに増やす予定だ。初年度の売り上げは上々、購入者にはリピーターも多く、口コミやSNSでサイトの認知度が高まることは「青森県産りんご」の認知度、シェアを増やすことにもつながると考える。

たびたび津軽のりんご園に出掛け、生産者の作業や収穫を手伝いながら「☆」を増やすためのアドバイスもする。「りんご侍」サイトの「特徴で選ぶ」という項目には「りんご技術を教えてくれる」「作業体験ができる」といった農業への関心を呼び込む内容のほかに、さりげなく「お嫁さん募集中」も滑り込ませ、後継者確保にも気を配っている。

「少子高齢化の今、50年後に全国の都道府県はいくつ残っているか。青森県と農家が生き残るためには、早めに手を打たないと」。故郷の行く末に目を凝らし、時代に合ったツール、スキルを駆使して「日本一のりんご専門店」として事業を拡大しつつ、農家が力を得ていく方策を探り続けている。

 

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「次は、子どもたちにスポーツの楽しさと教え、自身もスポーツ大好きで元気いっぱいの弘前市出身、三上真実さんです」(須藤さん)

<2015年9月3日 インタビュー>

行動力と判断力で未来を拓く“野望の人”

今年6月、新橋で開かれた青森関連イベント「あおつな」のスピーカーとして登場した須藤さんは、2つ目の会社を辞める直前のエピソードを披露しました。「24歳の夏、会社を辞めたくてもなかなか踏ん切りがつかなかったから、ブログでカウントダウンして8月に辞めた」と。ステップupが必要と感じた時、自分を追い込む方法を見つけ、実行する方なのだと、「行動の人」の片鱗を見た思いでしたが、今回のインタビューではさらなる裏付けを伺うことができました。

20代はじめの頃、青森県人のつながりを求めてmixiで県人を探して、意気投合したのが、「あおもりーな 010」でご紹介した七戸町出身の牧野亜希子さん。青山で仕事をしながら、プライベートでは堂々と南部弁で語るカッコ良さに刺激を受けて、「都会の真ん中で田舎弁を叫ぶ」と題したイベントを2人が中心となって開催したとか。SNSの機能がまだ限定されていた10年ほど前のこと、mixiで県出身者や気になる人たちに2000通もの案内メッセージを送り、20人から40人と参加者を増やし、最後の5回目には口コミも含めて100人を集めたというのですから、恐れ入ってしまいます。

青森への思いを持つ在京経営者が集まる「AOsukiの会」の立ち上げに牧野さんと一緒に関わり、今年4月、会長に就くと、会員資格と毎月の定例飲み会の参加枠を「青森出身者、青森ファン」まで広げました。「1人でも多く青森つながりを広げて、みんなで青森のことを考えていきたい」という理由からでした。5月、修学旅行で上京した青森西中学校の生徒たちに、経営者や社会人が体験談を伝える「フューチャーゼミ」では、仕事の面白さや未来は自分の力で拓けることを語り、青森を支える次世代への目配りも忘れていません。

「りんご侍」は、2回以上リピート注文する人が全体の30%もあるなど、早くも成果が見え始めているとのこと。「でもね、農家の考えと消費者の声には差がある。その差を埋めるため農家とよく話すんだけど、短気が多くてねぇ」と苦笑い。そう言いながら、おそらくはスキーで鍛えられた行動力と判断力と粘りで、「サムライ」の名に込めた世界への野望を実現していくに違いないと、思ってしまいました。(編集・小畑)

 

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