あおもりPR娘あがせガール

首都圏等で活動する「あおもり~な」(青森思いの県人等)を紹介します
2015.1.20更新

あおもりPR娘あがせガール

あおもり〜な 001 島野温枝 (しまの・みつえ)さん
  • 30代
  • 青森県佐井村出身
  • 東京都在住
  • 俳優
あおもり〜な 001 河野 (こうの)さん
  • 30代
  • 青森県青森市出身
  • 東京都在住
  • 会社員

「寄っていって」という名のお店で、青森ファン増やす

2013年1月から月1回、下北沢に出現した青森ミニ酒場「あがせ」。翌年1月からは、自由が丘にある県人のお店を手伝うかたちで営業し、12月の“閉店”まで青森とあがせガールを応援する人たちでおおいに賑わってきた。「わいだぢ、青森好ぎだして〜!」(下北弁)と公言してはばからない「あおもりPR娘あがせガール」は、Tシャツ製作やイベントなどあれこれPR作戦を展開し、青森応援団を増やすべく、ばく進中だ。

「仕事でむつに住んでいました」というご夫婦が「あがせ」にご来店。下北談義に花が咲く

「仕事でむつに住んでいました」というご夫婦が「あがせ」にご来店。下北談義に花が咲く

店名の「あがせ」は、下北弁で「うちに寄っていって」という意味。管理栄養士の資格を持つ河野さんが調理を、島野さんは接客を主に担当。下北産の塩辛、イカ寿司、タラの子和えなど、青森的なツマミを用意し、お酒は都内では手に入りにくい県産のにごり酒、嶽きみ焼酎などを取り寄せた。
12人も入ればいっぱいになる自由が丘のお店を埋める常連の多くはオジサマたち。しかも、県人率ゼロ!「都内の県人のお店で会った人や芝居を観に来てくれた人がほとんど。県出身じゃない人に青森のごど、好きになってほしいして、嬉しい」と話す島野さんは、料理を運び、お燗を付けながら、お客様と青森談義。注文に応えて手早く調理する河野さんも、手が空いたすきに会話に加わると、笑いの輪が広がる。

「ところでさ、『青森を応援する』って、ホントは何がしたいの?」
常連さんから、何度も痛いところを突かれた。
「そう聞かれて答える度に、自分の言葉が夢物語の薄っぺらいものだってことに気づいていった」(島野さん)
「具体的なステップが思い描けていなかった。常連さんが『やりたいことやれば。応援するよ』って言ってくれるから、次の行動を起こそうと思えた」(河野さん)
“本気スイッチ”を押された2人は、仕事や芝居の稽古の合間を縫っておおいに語り、考えた。そして2014年。2人はあがせを続けながら、お店を飛び出して実質的に人やおカネが動く活動も展開し始めた。

村は「いずれ帰る場所」なくなったら困る!

最後の「あがせ」の開店直前、せんべい汁で腹ごしらえする河野さん(左)と島野さん

最後の「あがせ」の開店直前、せんべい汁で腹ごしらえする河野さん(左)と島野さん

下北弁で「うちに寄っていって」という意味の青森ミニ酒場「あがせ」を開いた2人は、故郷・青森に対するそれぞれの思いと事情を抱えていた。

島野さんは、上京して短大に入学したのと同時に劇団に入り、勉強もそこそこに芝居に打ち込んだ。卒業後は役者として劇団の舞台に立つ一方、佐井出身の上京仲間に声を掛け、下北をアピールするグループ「下北軍」を立ち上げた。音楽系イベントなどを仕掛けるうち、瞬間的には盛り上がっても集まった人の輪を長続きさせることが難しいこと、そして何より、来てくれた人たちに自分の思いを伝え切れていないことを歯がゆく思うようになった。
「下北軍を作ったのは、佐井村がなくなると困るから。今は無医村になり、友達が里帰り出産したくてもできない状況。イヤで出てきた村だけど、家族がいるし、いずれ絶対に帰る場所。だから佐井と青森を思う人が集まることを定期的にやりたくなった」

高校卒業まで青森市内で過ごした河野さんは今、帰省する時はむつ市に向かう。父が実家に引っ越し、耕作放棄地を耕してアピオスの生産と事業に取り組んでいるからだ。上京後しばらくは、都会の暮らしに慣れ、会社の仕事を覚えるのに必死だった。数年後、父が事業を始めたことから、いつか何か手伝いたいと思い、管理栄養士の資格を取って、大学で学んだ栄養学と料理の勉強をし直した。

その頃、年に数回、都会のシモキタ(下北沢)で青森の下北をアピールする「しもきたつながり市」が開かれるようになり、スタッフとして手伝っていた島野さんと出会う。しかも、その時のつながり市を主導していたのは父・紹視さん。青森のことが気になり始めていた河野さんは、島野さんの青森に寄せる熱い思いを聞き、心を決めた。
「よし、一緒にお店をやろう!」

地域に貢献したい!不格好でも、わいだぢはやる

「都内、そして県内の人にも青森の魅力を知ってほしい」と、島野さんは2012年、下北軍メンバーや県内のネットワークを駆使して夏に下北、秋に南部、冬に津軽を巡るツアーを行っていた。そして2013年7月、あがせの2人は、改めて下北ツアーを決行。参加した15人が下北の自然や食べ物、村の人との会話を楽しみ、「下北いいね〜」と何度もしみじみ話す様子に、ツアーの有効性を確信した。

あがせ常連さんの「応援するよ」という後押しを受けて、お店を飛び出した2014年。「青森をアピールしながら街ブラできるオシャレなTシャツを作ろう!」と、常連さんつながりのデザイナーに依頼してTシャツを製作、販売。9月、下北の食、下北の人口減少をテーマにした県人キャストによる芝居、県人バンドの演奏などを楽しむイベントを開くと、常連さんの口コミも奏功し、チケット100枚は当日前に売り切れ。料理も数品が完売する盛り上がりに。スタッフには、あがせTシャツを着た常連さんの姿もあった。

「最初はあがせを手伝う感覚だったけど、こういう活動にガッツリ関わりたい気持ちに変わった。青森を例えれば、好きだけど憎い人。でも、好き。根底につながっている場所。東京の開けた考え方の人に会ったから、青森を応援しようと前向きに考えられるようになった。いずれは、2拠点居住ができればいいなぁ」(河野さん)

今年は都内のマルシェで下北産野菜を販売したり、より魅力的な下北ツアーを行う予定だ。「年末、都内で佐井村長さんや村の人にお会いした。村に対する熱い思いを聞いて、話して、自分が最初に純粋に『村おこしをする』と決めた頃の思いを新たにした。どんなに不格好でも、わいだぢは今年、一歩前に出て、地域貢献実現のために頑張るして!」(島野さん)

多くの時間を費やして、青森を思う人の輪を広げ、少しずつでも経済効果を生みたいと目論むあがせガール。その今後に、ご注目!

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