空手にハマり、体と技を鍛える日々
高校時代、県内に「敵なし」
「世界スーパーバンタム級 勝者〜 一戸総太〜!!」
2015年2月11日、キックボクシングの王者が集結するキックの祭典「NO KICK, NO LIFE2015」(大田区総合体育館)で、一戸選手はWBCムエタイ日本スーパーバンタム級の王者・宮元啓介選手を下し、国内最強を証明した。湧き上がる歓声と大きな拍手に、こぶしを高々と掲げて答えた。
一戸さんが格闘技に目覚めたのは鶴田中学校3年生の頃。友達が通う空手道場に入ると、四六時中、空手のことを考えるようになり、道場が休みの日は一人で練習した。野球、水泳、書道、ピアノなど、どれも長続きせず、勉強もつまらなかった。でも、空手は面白かった。折しもK-1が流行り、頂点に君臨していた小比類巻貴之さんが三沢市出身だと知る。「わっつあ〜、青森の人、出はっちゃー。ワも世界チャンピオンさなる!」。根拠のない、でも確信的な自信がムクムクと湧き上がった。
五所川原工業高校に入ると空手部の2時間の練習の後、週2日ずつ鶴田の道場と五所川原の極真空手の道場に通い、空いた日は鶴田町亀田在住の通称“ムキムキマン”のもと、筋トレフォームや呼吸法を学んだ。実家の養豚業を手伝ってもらったお小遣いにお年玉を足してサンドバッグや格闘技グッズ、プロテインを買い、ひたすらトレーニングに励む日々。その結果、高校時代の50試合で48勝を収めた。
K-1を知った頃から、本当はキックボクシングがやりたかった。だから、就職のために上京した日にジムを探し、そこから人生は大きく動き始めた。
狙いすました華麗な攻めがカッコイイ!
「おら、東京でムエイタイやるだ!!」
勤めた会社は残業が多く、自分の練習ができなかった。一戸さんは1ヶ月で退社、バイトをしながらジムに通い、タイ人の先生が教えるムエタイに出会った。「攻撃をよけて、返し、狙いすまして的確に打つ。その華麗な闘いぶりに心底惹かれた」
上京から1年後、ウィラサクレック・フェアテックジムへ。すると、ムエタイ最高峰の大会「ルンピニー」のランカー経験者だった会長が、体つきや動きを見て「こいつは、チャンピオンになる」。1ヶ月後、一戸さんは19歳でプロデビュー。24歳で日本バンタム級、26歳で日本スーパーバンタム級の二階級制覇、2014年11月にはWPMF世界スーパーバンタム級のチャンピオンへと駆け登った。
そんな華やかな戦歴とは裏腹に、チャンピオンになるまで暮らしは苦しかった。パチンコ屋、警備、夜間の掃除など何でもやった。ガスを止められ、気合いを入れて冷たい水シャワーですます日もあった。
所属ジムでは、ルンピニーのチャンピオン経験者から指導を受けている。「超えたいと思える目標が目の前にいることは大きい」。ただ、減量はつらい。試合前はおでんの大根や厚揚げ、キャベツの千切り、ゼロカロリーの炭酸飲料でお腹を満たし、約10kg落とす。
試合の入場曲は、吉幾三さんの「立佞武多」に決めている。「吉さん、好きです。歌ジョンズだから」。この“逆アピール”が実を結び、吉さんの後援会がスポンサーとなってくれている。ブログ「おら、東京でムエタイやるだ!! 」には、ムエタイ漬けの日々がつづられている。
東京で、目標に最短距離でたどり着く
そして、モツケが増えるように県内で大会を開く!
チャンピオンになってからは、日に5~6時間、身体を動かしている。8キロ40分以内のランニングに、極太チューブの重いタイ式縄跳びを30分跳んで腕や肩を鍛える。トレーナー相手に3分間ミット打ちし、合間の30秒で腕立て伏せをするサーキットトレーニングを6セット。終わった後はサンドバッグに向かい、腹筋も。加えて、子どもや一般向けの指導もしている。
肘や膝での攻撃、さらに相手の腕や首をつかんでの攻撃も許されるムエタイ漬けの日々で、首や足首、肘などの関節はガタガタ。顔だけでも40針以上縫っていて、捻挫や脱臼、骨折といった怪我は挙げるとキリがない。それほど肉体を酷使しながら、ハングリー精神でムエタイを続けられるのは、「ルンピニーでチャンピオンになる」という大きな目標があるからだ。ジムのトレーナーは「総太は心が強い。力も十分にある。チャンピオンになれる」と太鼓判を押す。
「上京直後、フラフラしていて心折れそうになった時、実家に3週間帰って気持ちをリセットした。で、ムエタイさ出会った。ケヤグに『そったに青森好ぎだら、いればいいでばな』って言われる。でも青森好ぎだばって、自分の目標に最短距離でたどり着くため、今は東京さ、いにゃぁマイネ」。強くなるに従って人の輪が広がり、闘う意味は、「自分のため」から「応援してくれる人のため」に変わった。試合用トランクスにはスポンサーの県内企業や吉幾三さんの後援会のステッカー、鶴田の町章を縫い込んで、「ふるさと青森」を精いっぱいアピールしている。
今年7月12日、五所川原市で自身の世界防衛戦と合わせて、県内の各種格闘技の選手が闘う大規模な大会を開く。「人と人が闘う気迫、選手の息遣いをナマで見て、感じてほしい。県内のワゲモノは“冬眠”したり、守りに入る人が多い。でも、誰か一人飛び出せば『よし、ワもやる!』となる。ワをもっと宣伝に使ってほしいな。それで、青森がもっと盛り上がって、モツケが増えれば嬉しい」。自身が大きな目標に巡りあえ、環境に恵まれたことに感謝している。その恩返しとして、「格闘技をやりたい!」と思っている県内のワゲモノだぢに、エールを送り続けるつもりだ。
「次は、ワのケヤグで、祐天寺でヘアサロンを経営している由利達麻さん(青森市浪岡出身)です」(一戸総太さん)
<2015年2月6日 インタビュー>
編集後記
ジムにお邪魔し、一戸さんがグローブで、肘で、膝でトレーナーのミットを打つ「バシッ!!バシッ!!」という音のハンパない大きさと、動きの速さにおののいた。見ると、太腿もふくらはぎも上腕も前腕も、もちろん腹筋も、あらゆる筋肉が肉厚に盛り上がっている。肩回りの筋肉が強くなりすぎて鎖骨が亜脱臼したり、あばら骨を折ったこともあるとか。それを、「スペアリブだ」と笑っておっしゃる(いえいえ、違いますよね(汗;)。
今より軽量のバンタム級の時には、身長165センチにして、53.52Kgの契約体重に合わせて減量し、体脂肪を極限の4%にまで落としたという。また、2月11日の大会翌日も、何事もなかったかのようにちびっ子クラスを指導していた。そのタフネスさに、心底感服する。
「東京10年ですから標準語も使います」と言いつつ、取材中はずっと津軽弁だった一戸さん。「ワのみそ汁茶わん、津軽塗だんです。箸も高校から使ってる津軽塗の模様が好きだから持って来た。箸の先っちょがはげてきたから買おうと思って探したら、『たっけ(値段が高い)!』って(笑)。でも、津軽の伝統的なものはスゲーいい。津軽サイコーっす」。津軽のことを話し始めると止まらない様子がほほ笑ましい。
中学、高校と同級生で、地元に暮らす女友達がムエタイの活躍ぶりを知り、「食べるための仕事」を辞め、やりたかったアパレルの仕事に挑戦し始めたことが嬉しいという。生身の人が「勝つため」に闘う姿は、見る人を勇気づけ、内に秘めた闘志を呼び覚ますということか。さて、7月の五所川原での大会で、どのくらいのワゲモノだぢの気持ちに火が点くか。ものすごく楽しみだ。(編集・小畑)